幼児退行していた11年間の話 その②
その②です。
初めての彼氏と別れるのと前後して「幼児退行」という言葉を知った。その過程においてあの「育てなおし」の岩月謙司氏を知った。毀誉褒貶ある人物だそうだが、彼の「育てなおし」理論はたまらないほど魅力的であった。彼の理論は深堀りされておらず洗練されてないが、しかし「甘えが足りなくて成人した人は、大人になってからたくさん甘えさせることでその欲求が充足する」という主張はとにかくインパクトがあった。
その手の本を読む中で、自分の中にはっきりと「甘えたい」それも女が男に甘えるようにではなく、小さな子が親に甘えるように甘えたいという如何ともしがたい強烈な欲求があることを認識した。
このマニアックな欲求とインターネットとの相性は抜群であった。日本における幼児退行のサイトというのはあまりない。ただし、強烈な個人が何人かいて彼らのページをよく見ていた。彼らは強い意志を持ち「我は幼児である」ということをやっている。専用のおむつカバーをいくつももち、お気に入りのおしゃぶりの素材についてこだわりぬき、「今日はたくさんおちっこしたの、ママにほめられたの」といった幼児語を駆使してホームページを更新していた。その写真はどう見てもグロテスクであった。
しかし甘えたい欲求は私をインターネットに向かわせる。出会い系掲示板のようなところに迷い込み、それらしいことを書き込んでみる。似たような趣向の人はいたが彼らは幼児プレイをSMの一種としてとらえており、それは私の趣向と違っていた。にもかかわらず、切なる欲求に駆られてそれらの「自称S男性」とメール交換することもあった。最終的に、国内に見切りをつけフェティッシュの本場アメリカのウェブをさ迷い歩きついに私のパラダイスを見つけた。
そこには幼児退行したい人と親役をしたい人が集まっていた。驚きだったのは「パパ役」をしたい男性が多かったこと。子ども役は女性が圧倒的に多い。私から見れば親役など何の楽しみもない、Sプレイができるならまだしも、ただ女児をあやすようなプレイをしていて何が楽しいのかと思ったが、そこには想像しえない深淵な世界がひろがっていた。”Dad, find me. your babygirl is here!”などという投稿があちこちにあった。タイトルだけ見るとエスコートサービスそのものに読めるが、そうではなくDadは本当に父親役のことでBabygirlは女児のことなのであった。
幼児退行といってもロールプレイする子供のタイプがいくつかある。「いい子」タイプを望む人もいれば、「ブラッキー」といわれる憎たらしくいたずら好きのタイプを望む人もいる。さらに素晴らしいのは、真剣度の高い人は性的なものを除外したいと考えていることであった。「女児役」でなく、「パパ役」がである。彼らは性的不能なのかと思った多がそうではないらしく、単にそのプレイとセックスは切り離されているということらしかった。
金脈を見つけたかの如くそのウェブサイトにのめりこんだ私は、気づけば苦手な英語も労なく読めるようになり、「パパ役」達とメール交換するようになっていた。彼らのほとんどがまともな日常生活を送っており、なぜこのような嗜癖に目覚めたかについては「前の彼女がそうだったから」という人がほとんどであった。「あの甘さ、頼られる感覚が忘れられない」とある男性は言った。私が見た限りナイーブな男性が多いようであった。そこには、どこまでも甘い相思相愛の世界が広がっているように思えた。
しかしながらそこには日本在住の人はいなかった。何度もしつこく投稿していたのだが、しまいには「残念だけど君にマッチする人はここにはいないよ」と言われてしまった。
続きます。