幼児退行していた11年間の話 その③

幼児退行はどのように卒業するのだろうか。私はずっとわからなかった。

 

ミュージシャンの男と別れた後も、その後付き合った相手の前では必ず幼児退行が出現した。「この人いいな」と思うと、心を許すタイミングでもう幼児の自分が出てきてしまう、そしてそれを受け入れられると自然と交際に発展していくのが常だった。

 

私は抱っこのスタイルが好きだったので食事の際もテレビを見る際も膝の上にのせてもらう形をとっていたが(ちなみに抱き合う形になるので一方はテレビを見れない)、最後には相手の膝の上に頭を乗せ、上から覗き込むようにして見つめ合うのばかりを好んでやっていた。

 

その時の感覚はまさに陶酔で、この世界には自分と相手しかいない。全身全霊で相手を信頼している、相手は私を見下ろすという形をとって全幅の関心を寄せる。相手の関心が全身に降り注ぐのを感じると、自然に思考は停止して口からはごきげんな喃語が漏れる。それを合図に、相手は頭などを優しくなでてくれる。その時相手は神である。

 

私にはそれが求めるもののすべてであり、完全な幸福だった。別に誰かを傷つけてるわけでない、恋愛関係にある男女が双方を慈しみあっているだけである。何も問題がない、幼児退行は普遍的な人間関係の一形態であり自然な形だとまで思っていた。だから、それを辞めるという発想には至らなかった。そのうち飽きて自然な形で「卒業」するのだろうくらいにと思っていた。

 

しかしそうではなかった。幼児退行はどんどん進行した。それに伴い甘いだけではなくなった。気に入らないことがあれば幼児のままにギャーと泣き叫び、地団太を踏む。喧嘩をすれば口も聞かない。話し合うことすらできない。ようは、常にきわめて感情的だった。最終的には外出時に化粧の手間すら厭うようになり、小学生のようないでたちで外出するようになって、さすがに我ながら「これやばいな…」と思うようになった。

 

さらには相手との関係も感情的ないさかいが増え、おまけに日常生活も崩壊寸前。大人としての理性的な判断をするのが面倒となりあらゆる問題も先延ばし。もともと少ない友達とも面倒で連絡を取らなくなっていた。おまけに私は女性ということもあり、相手が経済的に養う姿勢を示していた。要はたいていのことが許され、自立する必要が全くない環境になってしまっていた。

 

甘えたい、甘えたい、幼児のように甘えたい、と血の涙を流して甘えたい要求を抱えていた私だったが、いざその環境を与えられてみれば、どうにもならない泥沼のような生活が待っていたのだった。何しろ感情がコントロールできない、気持ちのままに相手を罵倒し、激しく言い争い、非常に神経をすり減らし爆発し、その後お決まりの仲直り幼児プレイ。このジェットコースターのアップダウン、これが共依存なのだ。

 

この相手は前の結婚でも同様の感じになっていたらしく、耐えかねて相手に暴力も振るっている。よくもまた同じような女を見つけたものだと思う。つまりそういうことだ。弱さなのだ。理性を保ち相手を愛す「努力」を生涯続ける、そんな真っ当な困難から目を背けた結果がこれだ。うっとりするほどの忘我の楽園の裏側には、いまにも火が付きそうな導火線があって、だからこそ陶酔する。不自然で不健全極まりない。私にすべて与えてくれる相手は神でもなんでもない、弱さをもつ普通の男だった。私は11年間の幼児退行の果てで、そこに行き当たった。この世にサンタクロースはいない。無理して陶酔の世界を作り出せば現実にひずみが出る。この先には何もないんだな、ということがよくわかった。

 

そして私は、成長することを選んだ。今ならよくわかる。子供が大人になるというのは「自分の選択」以外ではありえない。大学を卒業したから、結婚したから、自動的に大人になるのではない。自分で「大人になると決心する」のである。そして自分の足で立ち上がってそこから離れる。そうでなければ永遠に心の安定は得られない。子どもの世界に心を置いている限り、感情は自分のものにならない。それでも時には戻ることがある、そこには一応甘い世界が待っていてくれる。昔はそれが当たり前だと思っていた。でも今は違う、その世界を時々提供してくれる相手に感謝して、至らない弱さをさらけ出させてくれることに安堵して、しばし甘えの時間に陶酔させてもらう。そしてその後自分の足で立ち上がって、洗濯物を干したりするのである。