「あなたを泣かせる男と結婚しなさい」という話

「あなたを泣かせる男と結婚しなさい」

 

”Someone who makes you cry is the one who makes you smile”

貴女を泣かせるような男だからこそ、貴女を心から笑顔にすることもできる。

 

もちろん、泣かせることなく笑わせてくれる方がずっといい。

そういう男は最高だ。しかし、そんなことはありえない。貴女を決して泣かせず、代わりに常に笑顔にしてくれる男が現実にいるだろうか。

 

それはつまり、彼は決してミスをしないという意味であり、そんな人は存在しない。

もしくは、彼が何をやっても悲しくならない場合。それはもっとあり得ない。

 

結局、

あなたを笑顔にしてくれる男とは、あなたを泣かせる男なんである。

 

そして忘れてはいけないのが、

「笑顔は涙に引き立てられる」

という恐ろしい事実なのである。

 

彼があなたに「幸福」を感じさせているのは、過去にいくつもの「涙」を流させているという事実があるからである。すなわち不幸が幸福を引き立てている。

 

①「幸福」ー「幸福」ー「幸福」ー「幸福」

②「幸福」ー「不幸」ー「幸福」ー「幸福」

③「不幸」ー「不幸」ー「幸福」ー「不幸」

 

こういう順番で幸福と不幸が訪れる場合、もっとも幸福感を感じるのは③の幸福なのである。①の場合は4連続目にはもう「幸福」かどうかすらわからなくなってる。

 

不幸が幸福を引き立てる、恋愛で言えば、涙が笑顔を引き立てるのであってこれはたいへん恐ろしいことである。結局、まったく女を泣かせない男よりも、適度に泣かせる男の方がモテてしまう。

 

それは嗜癖であり中毒形成と同じなのである。例えばパチンコも気まぐれのようにたまに出るからハマるんであろう。いつもガバガバ出玉だったらたぶんハマらないんだろう。

 

そうなると恋愛における幸福とは、ジャンキーが麻薬をむさぼるようなものなんである。気まぐれに出るあたりが欲しくてたまらないのである。

 

ねえ、幸福ってなんですか?

 

あなたを泣かせる男ことができる男だからこそ、あなたの心からの笑顔も引きだすことができる。そういう男をあなたは愛す、愛す。

 

だって、彼とケンカした後に「もうこの男を許さない」そう思って泣いて泣いて、川になるほど泣いて泣いて、そうして玄関を開ければ心から申し訳なさそうな彼が立っていて「悪かった、ごめん」といってあなたは抱きすくめられ、その時に安心する彼の匂いがして、あなたは息も絶え絶えに幸福におぼれる

 

その時の感覚は「これが正(RIGHT)だ」というものである。「中毒者が麻薬を与えられただけだ」とは思えない。その感覚はあなたにとっては光で、この光をたどっていこうと思わせるものなのである。

 

でもたぶん、これは間違いの道なんである。中毒形成が進むだけなんである。そしてそれこそドはまりする恋愛の醍醐味なんである。しかしその先にあるのは難だろうか、結婚?

 

恋愛の目的は、恋愛である。

しかし、

結婚の目的は、結婚ではない。

 

恋愛と結婚は違う、

恋愛→結婚ではなく、恋愛┃結婚なのである。

そもそも別々なんである。

 

それなのになぜ我々は恋愛→結婚と進もうとするのだろう。それが唯一の正解のように。それ以外は道にあらずというように。

その思い込みのためにあなたはこんなに苦しんでいる。

 

 

①「幸福」ー「幸福」ー「幸福」ー「幸福」

②「幸福」ー「不幸」ー「幸福」ー「幸福」

③「不幸」ー「不幸」ー「幸福」ー「不幸」

 

③が最高の恋愛なのである。

だけど結婚で選ぶべきなのは①なのである。

結婚では、幸福さを忘れるほどに幸福を生きるべきなのである。

 

どう考えても、同じ相手とは無理だよ。

大恋愛をして ③「不幸」ー「不幸」ー「幸福」ー「不幸」とやってきた相手と、

結婚になったら①「幸福」ー「幸福」ー「幸福」ー「幸福」とはできない。

 

もちろん万に一つは幸福なカップルもいるだろう。恋愛で結ばれた二人が結婚し徐々に家族に切り替わり③→①と自然変化する。でもたいてい二人の足並みは必ずズレる。そのタイミングのずれで苦しむ人はいくらもいて、浮気が成立する余地がうまれる。

 

結局、連来と結婚は違う相手を選ぶべきなのだろう。

 

結婚するならむしろ、泣かせも笑わせもしない相手を選ぶべきなのではなかろうか、とさえかすかに感じている。

だけど悲しいかな、そんなことしたくないのである。恋愛に灼けた頭では特に。

 

あなたは恋愛を唯一無二の正義だとしか思えない。私を泣かせない笑わせない男と結婚するなんてとんでもないと感じてる。

 

それはたぶん「快」なんである。

③「不幸」ー「不幸」ー「幸福」ー「不幸」

のあの強烈な快を忘れないだけなんである。

 

こうしてあなたは(わたしは)大恋愛の末に結婚し、見事に失敗するのである。

 

幼児退行 終わりに

ずっと認めるのが嫌だったが、やはり幼児退行は「フェティッシュ」の一つなんだと思う。

 

ずっと昔にフェチの学術研究みたいなまじめな書を読んだことがあるが、そこには「すべてのフェチは人を愛することの代替行為である」とあった。SMもコスプレもスカリフィケーションもスワッピングも下着愛好も女装趣味も、たぶん人を愛することの代替行為なんじゃないかと思う。つまり、フェチに身をゆだねている間は真に人を愛することがない、人と向き合うことがない。

 

フェチの人は基本的に孤独なので、人間関係は得意ではない。だから人を愛するトレーニングの機会を得ることも多くない。でもある種の「凝り性」であり、ものすごく一途なところがある。だから人を愛する方法を地道に学ぶことができれば、結構いい妻やいい夫になるのではないかと思うことがある。

 

しかしながら事は簡単ではなくて、私の場合は幼児退行というちょっと変だけど人畜無害なものだったし、きわめてストレートな形の求愛欲求の表れだったからそのまま普通の愛情に移行する努力ができるけれども、もっとややこしい嗜虐趣味組なんかの場合は相当大変だと思う。

 

崩壊するとわかっていてもその相手と出会えば体の内からこぼれてしまうのがフェチ魂である。そのせいで何人かの男性と別れたがそのうちの一人がこんな指摘をしてくれた。「その甘え心を僕にだけじゃなく、ほかの人にも向けなさい、ただしごく薄くして」と。それまで私は結構自分に厳しく他人にも厳しい人であった、そしてそのストレスのせいで二面性を持つようになり、甘える場所を求めてさまよっていた。

 

甘えが進行して苦しかったことのもう一つは、人格がどんどん乖離していくことだった。外ではしっかり者(というか今思えば単なるイエスマン)、家では甘えん坊とどんどん人格が分かれていった。たまにSMプレイに於いて、M奴隷として名前を持っている人がいるけれどああいうのはほどほどにしたほうがいいんじゃないか。ストレス解消には最高だけど、二つの人格の間でいつか苦しむことになる。人格はなるべく統合させるべきで、そのためには隠したい自分をオープンにしていかないといけない。その出し方を学ぶのが大人の生き方なんだと思う。ダメな自分を外に出す、加藤諦三の言うところの『感情を出した方が好かれる』というのは正しいなと最近思う。おまけに自分も楽であることもわかった。

 

幼児退行の一連の話はこれでおしまい。

 

幼児退行していた11年間の話 その③

幼児退行はどのように卒業するのだろうか。私はずっとわからなかった。

 

ミュージシャンの男と別れた後も、その後付き合った相手の前では必ず幼児退行が出現した。「この人いいな」と思うと、心を許すタイミングでもう幼児の自分が出てきてしまう、そしてそれを受け入れられると自然と交際に発展していくのが常だった。

 

私は抱っこのスタイルが好きだったので食事の際もテレビを見る際も膝の上にのせてもらう形をとっていたが(ちなみに抱き合う形になるので一方はテレビを見れない)、最後には相手の膝の上に頭を乗せ、上から覗き込むようにして見つめ合うのばかりを好んでやっていた。

 

その時の感覚はまさに陶酔で、この世界には自分と相手しかいない。全身全霊で相手を信頼している、相手は私を見下ろすという形をとって全幅の関心を寄せる。相手の関心が全身に降り注ぐのを感じると、自然に思考は停止して口からはごきげんな喃語が漏れる。それを合図に、相手は頭などを優しくなでてくれる。その時相手は神である。

 

私にはそれが求めるもののすべてであり、完全な幸福だった。別に誰かを傷つけてるわけでない、恋愛関係にある男女が双方を慈しみあっているだけである。何も問題がない、幼児退行は普遍的な人間関係の一形態であり自然な形だとまで思っていた。だから、それを辞めるという発想には至らなかった。そのうち飽きて自然な形で「卒業」するのだろうくらいにと思っていた。

 

しかしそうではなかった。幼児退行はどんどん進行した。それに伴い甘いだけではなくなった。気に入らないことがあれば幼児のままにギャーと泣き叫び、地団太を踏む。喧嘩をすれば口も聞かない。話し合うことすらできない。ようは、常にきわめて感情的だった。最終的には外出時に化粧の手間すら厭うようになり、小学生のようないでたちで外出するようになって、さすがに我ながら「これやばいな…」と思うようになった。

 

さらには相手との関係も感情的ないさかいが増え、おまけに日常生活も崩壊寸前。大人としての理性的な判断をするのが面倒となりあらゆる問題も先延ばし。もともと少ない友達とも面倒で連絡を取らなくなっていた。おまけに私は女性ということもあり、相手が経済的に養う姿勢を示していた。要はたいていのことが許され、自立する必要が全くない環境になってしまっていた。

 

甘えたい、甘えたい、幼児のように甘えたい、と血の涙を流して甘えたい要求を抱えていた私だったが、いざその環境を与えられてみれば、どうにもならない泥沼のような生活が待っていたのだった。何しろ感情がコントロールできない、気持ちのままに相手を罵倒し、激しく言い争い、非常に神経をすり減らし爆発し、その後お決まりの仲直り幼児プレイ。このジェットコースターのアップダウン、これが共依存なのだ。

 

この相手は前の結婚でも同様の感じになっていたらしく、耐えかねて相手に暴力も振るっている。よくもまた同じような女を見つけたものだと思う。つまりそういうことだ。弱さなのだ。理性を保ち相手を愛す「努力」を生涯続ける、そんな真っ当な困難から目を背けた結果がこれだ。うっとりするほどの忘我の楽園の裏側には、いまにも火が付きそうな導火線があって、だからこそ陶酔する。不自然で不健全極まりない。私にすべて与えてくれる相手は神でもなんでもない、弱さをもつ普通の男だった。私は11年間の幼児退行の果てで、そこに行き当たった。この世にサンタクロースはいない。無理して陶酔の世界を作り出せば現実にひずみが出る。この先には何もないんだな、ということがよくわかった。

 

そして私は、成長することを選んだ。今ならよくわかる。子供が大人になるというのは「自分の選択」以外ではありえない。大学を卒業したから、結婚したから、自動的に大人になるのではない。自分で「大人になると決心する」のである。そして自分の足で立ち上がってそこから離れる。そうでなければ永遠に心の安定は得られない。子どもの世界に心を置いている限り、感情は自分のものにならない。それでも時には戻ることがある、そこには一応甘い世界が待っていてくれる。昔はそれが当たり前だと思っていた。でも今は違う、その世界を時々提供してくれる相手に感謝して、至らない弱さをさらけ出させてくれることに安堵して、しばし甘えの時間に陶酔させてもらう。そしてその後自分の足で立ち上がって、洗濯物を干したりするのである。

幼児退行していた11年間の話 その②

その②です。

 

初めての彼氏と別れるのと前後して「幼児退行」という言葉を知った。その過程においてあの「育てなおし」の岩月謙司氏を知った。毀誉褒貶ある人物だそうだが、彼の「育てなおし」理論はたまらないほど魅力的であった。彼の理論は深堀りされておらず洗練されてないが、しかし「甘えが足りなくて成人した人は、大人になってからたくさん甘えさせることでその欲求が充足する」という主張はとにかくインパクトがあった。

 

その手の本を読む中で、自分の中にはっきりと「甘えたい」それも女が男に甘えるようにではなく、小さな子が親に甘えるように甘えたいという如何ともしがたい強烈な欲求があることを認識した。

 

このマニアックな欲求とインターネットとの相性は抜群であった。日本における幼児退行のサイトというのはあまりない。ただし、強烈な個人が何人かいて彼らのページをよく見ていた。彼らは強い意志を持ち「我は幼児である」ということをやっている。専用のおむつカバーをいくつももち、お気に入りのおしゃぶりの素材についてこだわりぬき、「今日はたくさんおちっこしたの、ママにほめられたの」といった幼児語を駆使してホームページを更新していた。その写真はどう見てもグロテスクであった。

 

しかし甘えたい欲求は私をインターネットに向かわせる。出会い系掲示板のようなところに迷い込み、それらしいことを書き込んでみる。似たような趣向の人はいたが彼らは幼児プレイをSMの一種としてとらえており、それは私の趣向と違っていた。にもかかわらず、切なる欲求に駆られてそれらの「自称S男性」とメール交換することもあった。最終的に、国内に見切りをつけフェティッシュの本場アメリカのウェブをさ迷い歩きついに私のパラダイスを見つけた。

 

そこには幼児退行したい人と親役をしたい人が集まっていた。驚きだったのは「パパ役」をしたい男性が多かったこと。子ども役は女性が圧倒的に多い。私から見れば親役など何の楽しみもない、Sプレイができるならまだしも、ただ女児をあやすようなプレイをしていて何が楽しいのかと思ったが、そこには想像しえない深淵な世界がひろがっていた。”Dad, find me. your babygirl is here!”などという投稿があちこちにあった。タイトルだけ見るとエスコートサービスそのものに読めるが、そうではなくDadは本当に父親役のことでBabygirlは女児のことなのであった。

 

幼児退行といってもロールプレイする子供のタイプがいくつかある。「いい子」タイプを望む人もいれば、「ブラッキー」といわれる憎たらしくいたずら好きのタイプを望む人もいる。さらに素晴らしいのは、真剣度の高い人は性的なものを除外したいと考えていることであった。「女児役」でなく、「パパ役」がである。彼らは性的不能なのかと思った多がそうではないらしく、単にそのプレイとセックスは切り離されているということらしかった。

 

金脈を見つけたかの如くそのウェブサイトにのめりこんだ私は、気づけば苦手な英語も労なく読めるようになり、「パパ役」達とメール交換するようになっていた。彼らのほとんどがまともな日常生活を送っており、なぜこのような嗜癖に目覚めたかについては「前の彼女がそうだったから」という人がほとんどであった。「あの甘さ、頼られる感覚が忘れられない」とある男性は言った。私が見た限りナイーブな男性が多いようであった。そこには、どこまでも甘い相思相愛の世界が広がっているように思えた。

 

しかしながらそこには日本在住の人はいなかった。何度もしつこく投稿していたのだが、しまいには「残念だけど君にマッチする人はここにはいないよ」と言われてしまった。

 

続きます。

幼児退行していた11年間の話 その①

私は現在38歳である。27歳から38歳まで幼児退行をしていた。この度そのトンネルを抜けたようなので記録として残したい。

 

簡単なプロフィール

年齢:38歳

性別:女

職業:自営業

 

初めて幼児退行を起こした時のことははっきりと覚えている。27歳で初めて彼氏ができたときのことだ。27歳で初彼氏というと奥手のように聞こえるかもしれないがそうではない。初体験を15歳で済ませてから、どう控えめに言っても性には奔放であった。相手がたくさんいながらも「彼氏」というものがいなかったのは、ひとえに私自身が対象男性と安定した関係を作れなかった、もしくはその必要を感じなかっただけである。

 

その彼ともそんな風に気軽なセックス相手として出会った。これまでと違ったのは彼がとてもよい男だったことだ。セックス以外どのように男と過ごしていいかわからない私に、彼は丁寧に告白をし「ちゃんと付き合おう」といった。「ちゃんと」というものがどういうことかわからない。男性はセックスだけがほしいのだと信じていた私は、彼が私と様々なことについて話し合おうとし、私を理解しようとし続ける姿勢に衝撃を受けた。

 

そんな風にして私の心も自然と開かれていったある日、それは起きた。その日、たわいもない話をしていた彼は何かを説明するために、ジェスチャーとして手をグーにして振り上げた。私はその動作をまねした。そして、彼を見てにっこり笑った。その感覚はとても不思議で、今でもはっきりと覚えている。そのとろけそうに甘い感覚を。当時はなぜ自分がそのようなことをしたかわからなかったがいまではわかる。それは、「ほらみて、パパ私もできるの。すごいでしょう」という幼児そのものの感覚だったのだ。

 

それから私は何かがほどけていくかのように幼児退行していった。それはあがない難い欲求であった。自分が幼児になることを止められなかった。彼が歩けば後ろからついていって泣き出し、膝にのせてくれるようせがみ、体を洗ってくれるよう頼んだ。泣き出すときは必ず彼のTシャツで涙をぬぐい、ついでに鼻もかんだ。あの解放感と甘さ、幼児万能感は今でも陶酔を引き起こす。不思議なもので何も言わずとも彼も理解し「パパ役」を買って出てくれた。最終的にはおむつを買ってきて私にそれを装着させるよう求めさえした。

 

そのような蜜月は1年ほど続き、その後数年は不毛な時間を過ごすこととなった。私にとってはこの人がすべてであり当然結婚するのだと考えていたが、この人は当時ミュージシャン志望のフリーターであった(いまもそうだ)。生活力の面から不安になった私は、彼に企業の面接を受けるように言い、就職活動を手伝おうとした。今思えば完全に大きなお世話である。そして、きわめて支配的な行動であった。就職活動しようとせず音楽に固執する彼をなじった。支配性と幼稚性とは一見真逆に思えるけれども、結局根っこは一緒であることに当時は気づかなかった。

 

彼は忍耐強く人格的に円熟していたから、私の幼稚な支配欲に巻き込まれることなく、自然に距離を取り私から離れていった。

 

私は32歳になっていた。